宇田川 宣人

 平成最後となる第13回福岡文化連盟祭り(以後、文連祭に省略)は第4回天神アートビエンナーレ(以後、ビエンナーレに省略)として、平成30年10月2日から12月23日まで10のカテゴリーの展覧会と講演会をリレー式に開催し、盛況のうちに終了しました。

 テーマは「さようなら平成 こんにちは新時代」です。平成の福岡は新年度からアジア太平洋博覧会、イムズや天神コアの開業、ホークス軍団の降臨などで湧き上ってました。酒場ではこの年に他界した昭和の歌姫、ひばりのエレジー、「川の流れのように」が流れ、長渕剛の「トンボ」が新時代の到来をガンガンと響き渡らせ、バブル景気に浮かれ過ぎて酔い潰れている人をたくさん見かける時代でした。あの時代の高揚感はバブルがはじけた時の挫折感と重ね合わせて特別な思い出になっている人も多いことと思います。また世界を見渡すと、ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦が終結し、誰でも享受できる永遠の世界平和が訪れることを確信したと思いますが、実際はアメリカの9・11同時多発テロなどに見る民族や宗教の対立や3・11東日本大震災などの想定外の自然災害が続き、人々の価値観や生き方の変革を余儀なくされる不確実性の高い時代に変わっていきました。

 美術の世界においてもグローバルな欧米中心主義のファインアートの潮流が、ポストモダンの盛んな1990年代から本質的に変化を始めました。それまで、長い間続いてきた近代主義(モダニズム)の芸術の潮流や、それと連動した多くの美術運動が意味を持たない時代に転換したのです。私は1993年秋の海外研修時から現代美術の中心地ニューヨークにおける美術活動を開始し、今日まで毎年のようにかの地で作品発表活動を続けてきましたが、この30年間、平成が終わる今日まで新しい大きな美術の潮流や運動の動向を確認することができませんでした。チェルシーの画廊街や美大の教授達に尋ねても、ただ、いぶかるばかりだったことを思い出します。皆さんは美術雑誌や昨秋の県立美術館で開催された「美術のみかた自由自在展」でも再確認された方も多いと思います。つまりこれは、印象派からフォーマリズム辺りまでの工業化時代と重なる、進歩や普遍性を求めたモダニズムの哲学に裏付けられた全体性をもつ大きなモダンアートの潮流の中で生まれた、様々な主義主張をもつ美術運動が後退し、全体ではなく、個々(ローカル)や個人の思想で創造する個性を尊重する多様性を求める「イズムのないアート」の時代に変わり、グローバルなアートの価値観や評価が180度転換した時代となりました。いわゆる「ナンバーワン」から「オンリーワン」を求める社会の産物と化したと考えて良いかも知れません。

 そのような美術思潮の変化により美術の世界は、それまで見過ごされてきた、様々な地域、民族、ジェンダーやマイノリティ。また、未開、原始の社会、更には無価値な特性やネガティブなもの、何でもありの多様性まで広く寛容になった社会のすべてが美術の表現の重要なテーマになって取り組まれた時代に変化していきました。その過程でハドソンリバー派の風景画やイギリスの世紀末絵画などが再評価されると共に、フェミニズムアートやアジア美術、マイノリティの美術にもグローバルな視点が向けられるようになったことは福岡の美術家にとってもエポックメーキングな出来事であったと思います。

 前置きが長くなりましたが、このような今日のグローバルなコンテンポラリーアート(=今日の美術←→現代美術=モダンアートと用語を区別)視点からビエンナーレを総覧しますと、この文連祭のなかに平成の社会の縮図や美術思潮の本質とその反映を見ることができると思います。

 例えば、ビエンナーレの論理的バークボーンとなる講演会は福島善三氏が務めました。小石原焼の窯元に生まれ、その地域の粘土と釉薬だけを使い、何一つ趣味を持たず、すべての時間を陶芸創作と研究に没頭してきた結果、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定されたことを述べ、聴衆を魅了いたしました。特に「小石原焼のような民陶・雑器には人間国宝の枠(くくり)がなく、鉄釉薬陶器の国宝枠に可能性をかけて精進してきたが、自分でも驚いたことに、『小石原焼一代限り』という枠で認定された。」と述べられたのが印象的でした。これは取りも直さず、文化庁が、ローカルな民陶民芸に新しい椅子を設けたということになり、ここにも明瞭に今日のグローバルな美術の視観による評価の投映を認めることができると思います。

 また、アクロス交流ギャラリーにおける会員展や福岡アジア美術館の公募による39歳以下の「福岡・新世代アートフロンティア展」などは展覧会そのものが、美術・工芸のみならず華道であるとか、釜山美術交流展、茶会、Face to Faceなど全てが、ジャンルを超えて会員と一般の皆さんとが一緒に創るコラボレーションであり、今日の多様性の意義を問うものであると思います。個々の作品の講評は〈評論〉の安永幸一氏の担当のため、重複は避けますが、これらの展覧会に出品していた小川規三郎氏(人間国宝)の博多帯や多くの郷土の工芸作品また今やジャパニーズスタイルペインティングとして世界に広く認識された日本画や書の表現に福岡と日本とアジアという地域性の優れた特色を感じることができると思います。また、モダンアート時代に育った洋画家の中にも、地域や風土の特色を反映させた具象画の川野正氏、滝口文吾氏や抽象の光行洋子、三好るり氏の作品、フェミニズムアートの黄禧晶氏などの作品、更には、ポストモダン以降の若い美術家の作品の中にも、これまでにはなかった普通の日常のありのままを写した中原未央氏(昭和会賞・独立賞作家)、齋藤 菫氏、野中龍之介氏、また、地球環境破壊に驚鐘を鳴らす堤康将氏(FACA大賞作家)や阿部健太氏や吉井宏平氏、飯田晴夏氏(新世代・奨励賞)の作品など。また、新しい展示形式を模索している立体彫刻の山口貴一氏(新世代・大賞)や書の師村冠臣氏など平成から次の時代の美術の動向を示す強いメッセージを感じとることができます。

 次に、ギャラリー展を見ていきますと、「ひよこギャラリー」天神の和と洋と伝統が織りなす「手技のシンフォニー」は6名の異分野の工芸家と一名のネパール西洋画家が地域の特色を凝縮した精巧な手技による作品で、地域性と多様性に焦点を当てています。黒田藩御用達窯亀井味楽氏の茶陶や博多帯、木目込人形、フランス刺繍、キャンドルアート、印鋳などの名匠と次世代に活躍する教え子達とのコラボも新しい時代に希望を与えています。

 村岡屋ギャラリーの「まどPAT Ⅱ」は木やアクリルなどの様々な素材で作ったフレームを平成と次の時代を繋ぐ窓に見立てて、その内外に、洋画、日本画、陶芸、などの15名の美術家が大小様々な作品に、平成時代に生まれては消えた様々な価値観や新時代の希望を込めた作品を展示しています。この企画の中心となった増田千鶴子氏、城戸久美子氏などのはじけた笑顔の集合写真が、今日の地域性芸術的価値観を代表する福島善三氏の小石原焼の茶碗を背景にして新聞に掲載されていましたが、正に今回のビエンナーレに相応しいサブテーマになったと思います。後期印象派のポール・セザンヌは「絵画は窓ではない」と古典絵画を否定し、絵画の独立性を宣言してから100年以上が過ぎましたが、普通の視覚を通した風景画まで再評価される多様、多元性の時代となり、「絵画」も「窓」も更に新しい意味や役割をもつように変化していることを示唆していると思います。

 ギャラリー風で開催された「文芸とアートの出会い〈生きる〉展は美術作品に詩人、写真に俳人、短歌に書道家が、作品で語りかける誠に斬新な試みでありました。146名に及ぶ多分野の作品が一対一で正面から対峙する空間は平常の展示に比べてより強い緊張感に包まれていました。例えば故西島伊三雄(元文連理事長)雅幸父子の作品の対話は次の時代に受け継がれる希望とやすらぎが伝わってきますし、江口信博氏(文連シンボルマーク作者)や榊考陽氏、古本元治氏の平成の回想的な作品などに、龍秀美氏や田島安江氏などの詩人が聴覚的感性表現で対話し、この時代の不安定さや、暗黒の闇をこじ開けているのを大変興味深く感じました。また、榊晃弘や小林敏夫氏、松永楠生氏、室川実生氏などのリアリズム写真に阿比留初見氏など多く俳人が心や祈りを詠い、更には桜川冴子氏らの多くの短歌を師村妙石氏や鐘ヶ江勢二氏、川波猗嶂氏などの書が、専門外の私でもわかるような美しい筆勢で、自由にのびのびと歌人の心と一体となって共鳴しているように感じました。このように、この展覧会は平成の時代を生きる希望と苦悩の葛藤に揺れ動く、芸術家の姿を浮き彫りにすることが出来た優れた取り組みといえると思います。

 同じくギャラリー風の「みんなのアート~障がい者と画家達」はひまわりパーク六本松、板屋学園このはアート種・アトリエヤマトなどの協力を得て、高校から成人の知的障がい者20名と文連会員20名とによる48点の絵画展です。特に障がい者の描く動物や人、野菜、果物が生き生きと印象的でした。また、カレンダーやポチ袋など施設で作った様々なグッズも販売され、出品者全員が会場を訪れて交流いたしました。このように障がいと健常の区別を越えて、技術や優劣を競うのではなく、アートの根底にある絵を描くことの純粋な楽しみや喜びを分かち合うビエンナーレの初めての企画となりました。障がいのある人もない人もお互いに尊重し合い共に生きる社会に向けて文連は第一歩を踏み出すことができたと思います。

 全会場において、開催しました「Face to Face みんなでつくろう<希望の樹>」はリレー式に行われたビエンナーレ会場のフロントに、平山隆浩氏と武田義明氏が昨年の豪雨被災地である朝倉の江川ダムの瓦礫を構成して作った木に、会員や来場者がコースターの表と裏に自然災害の被害者の鎮魂や新時代の夢や希望を込めて、言葉や顔の絵を描いて飾った祈りや願いを込めた作品です。このようなパフォーマンスにより会員と一般市民が一体となって新しい時代のアートを切り開く文連の新しい文化活動の姿を改めて福岡の社会に示すことができたと考えています。

 このように天神アートビエンナーレを私が俯瞰するだけで、その成果を語るのは、早計でありおこがましくも思っているところですが、この先の時代も地球の温暖化現象などを加えて、想定外の自然災害が多数発生する恐れが予想されますし、民族や宗教やイデオロギーの対立も深まっていく状況です。長い期間をかけて築き上げてきたグローバル社会は亀裂を広げ始めています。また、平成七年に「ウィンドウズ」により世界への窓が開かれ、人々のコミュニケーション能力を一変させたIT、SNS、IOTなどの発展は一方では社会の不確実性、不安定性の要素の一つになってきたと考えることができると思いますが、このIT社会を反映した絵画や文学作品の出品はあったものの、映像やゲームなどの直接この分野を活用した取り組みが少なかったことは、文連の今後の大きな課題でると考えます。

 「文化芸術は時代の証言者であり、預言者」と言われています。また、芸術は美醜にかかわらず、人間性を追究する創造的行為でありますが、そこではおのずと富や権利とは違った人間の幸福や世界平和などポジティブなモラルに繋がる価値観の追究が求められています。このように、現代は文化や生き方、価値観の変革期であり、また、日本は少子高齢化社会も進み、新しい社会問題が次々と生まれていますので、美術家の文化的役割は益々大きくなっているといえるでしょう。これからも文連は天神アートビエンナーレを起爆剤として、障がいのある人もない人も、若い人も高齢者も、ジェンダーもマイノリティも外国人も一緒になって、文化の力により、多様な個性を認め合う明るく元気で、活力のある福岡の社会を創っていきたいと考えます。

「文化ふくおか」197 2019年2月
(第6部会理事・福岡県文化団体連合会理事長)