27回目を迎えるアジアの連帯 ー モンゴルから韓国、そしてタイへ 一

アジア美術家連盟日本委員会代表 宇田川 宣人

 アジア国際美術展は昨年9月に、初めての地、ウランバートルのモンゴル国立現代美術館において25回展を開催し、四半世紀の歴史的エポックを迎えた。また、今年の韓国における26回展は9月にソウルのハンガラムアートセンターと9月から10月にかけて全北道立美術館において開催され、この韓国展は前進である日韓交流美術展が1972年にソウル国立中央広報館においてスタートしてから丁度40年目の節目の展覧会となった。奇しくも、この主催の韓国委員会の代表は、この国 際展の創設者の故リュウ•キョンチェ氏(元ソウル大学教授)の愛弟子のリュウ•フィョン芸術院会員(ソウル市美術館 館長)であり、故リュウ氏と同志の故秋吉資夫氏は、共に天国において、2年続きの記念となる国際展が無事盛況のうちに終了したことに安堵していることだろうと思った。

 モンゴル展のテーマは「アジアの空:環境バランスと変化」であったが、モンゴルの澄み渡った青い空、どこまでも続く草原や輝く夕日に躍動する奔放な馬の表現などの作品は、欧米のアカデミズムやモダンアートの歴史を通過してたどり着いた造形とは異なった、モンゴルの元来の感性から発露されたような清々しい空感表現で、洗練された洋画の伝統を吸む多くの作品を圧倒しているように見えた。

 それに対して、韓国展のテーマは「アジアの芸術と文化のグローカリゼーション」で、アートフォーラムにおいて、この新しい言葉の考え方と実践例などについて、香港やインドネシア等から発表があったが、韓国の主流のミニマリズムのリュウ•フィョン氏や抽象のキム•ボンテ氏等の大作や力作を鑑賞していると、欧米の現代美術の運動に紛れもなく結ばれた形になっているにも関わらずに、その芸術思考や表現様式に民族や地域の文化や造形が組み込まれていて、創造性と才リジナル性の高い作品に昇華されているようにみえた。正にこれが美術のグローカリゼーションの典型的な所産であり、果実なのかも知れないと感じた。

 モンゴルから韓国と続いた、この2年間のアジア国際美術展を通して、おぼろげに見えてきたことは、航空機の乗り入れやウランバートルに走る韓国製の車の多さなど、短い旅のなかから気がついたことだけをひろっても、両国は経済や政治において深い友好国であろうと思えたが、しかし、寺院や宮殿•美術館•博物館、美術学校の見学、また車窓からの人々の生活の様子を眺めていると、こと文化や美術に関しては全く異なった、むしろ正反対の国のように感じた。例えば、この国際展における表現について比較してみても、一方では美しい原石のままと云ってもよい自然から培った無垢なアジアの感性的表現であるし、もう一方では欧米の現代美術史観をふまえたグローカリゼーションによるアジアの新しい造形表現である。現在、アジア現代美術がクローズアップされるなかで、このような寒帯から熱帯までの広大な自然と共存して生きづいているアジア人の感性と風土を根底に据えた直接的表現がどのような新しいアジア美術を生み出していくのか、またアジア文化のグローカリゼーションによる美術表現がアジアのオリジナルな芸術表現としてグローバルな評価を更に高めていけるのかなど、今後もアジア現代美術の動向が注目されるところである。

■第26回アジア国際羌術展韓国大会歓迎レセプション
 (日本委員会会員を中心に•ソウル教育文化会館)

 来年9月にはタイ委員会の長年の念願であったバンコク展がようやく実現することに決まった。今年の韓国の代表者協議会におけるタイのミズ、プリスナ•ポンタデサイクル代表の微笑みと謙虚な開催に向けてのプレゼンテーションを思い起こすが、再びタイには洪水の困難が立ちはだかる中、第27回展が各委員会の激励と協力、タイ委員会のリーダーシップにより予定通り開催できることを祈念している。