宇田川 宣人(アジア美術家連盟日本委員会代表)

 この度「異なる融合・国際芸術家交流展」が福岡アジア美術館で開催される。中国の著名なキュレーターである趙磊氏等と安永幸一元福岡アジア美術館館長の企画した注目に値する国際展である。私も地元作家として推薦をいただき、末席に連なることになった。

 アジアとの交流展といえば、私は1987年のアジア国際美術展に参加して以来、今日迄30年間以上にわたりアジア十四ヶ国・地域における展覧会やフォ–ラム活動を通じて美術家交流を深めてきた。この間にアジア諸国は民主化が進み、経済が成長するなど著しく社会が発展し、それに連動して芸術のテーマも表現の内容も大きく変化して行くのを私は目の当たりにしてきた。

 大戰後、多くのアジア諸国の美術家達は植民地時代から受け継いだ人間としての屈辱と恨みの痕跡を消え去る事ができないまま、喫緊の課題であった格差と貧困やイデオロギー、宗教、モラルの対立など、アジア社会の抱える様々な困難な問題を芸術表現のテーマとして取組んできた。また、殖民地以後の文化プロセスとしてアジア人として、近代化と西洋化の区別を明確に意識しながら、各国地域の文化的価値観とアイデンティティを犠牲にすることなく、アジア現代美術の可能性に挑戦してきたと考える。

 一方、欧米では1970年代から、モダニズムが後退し、ポストモダニズムヘの転換期が来て、フェミニズムアートなどと共に、中国の「シニカルリアリズム」や「政治的ポップアート」などのアジア現代美術が一躍クローズアップされるようになり、今日のグローバルな芸術的価値観を得ることになった。その後1995年代からIT 時代が始まり、更に多様性を求める社会になり、哲学や主義、主張に縛られない、すべての個性や地域性を尊重し認め合うアートの時代に移ったことにより、今日のアジア現代美術はより一層グローバルな評価を得て、更に注目度が高まっていると考えられる。

 今回の六名の美術家達は全員アジア現代美術の中心地の一つである北京の芸術家村、宋荘から選ばれて参加している。宋荘は政治的ポップアーティストとして、また福岡アジア美術館の常設展示でもよく知られている方力鈞氏が、現在、その宋荘美術館館長を務めていると聞いているし、火薬作品の蔡國強氏はじめ、約二万人に及ぶ美術家、音楽家、映画監督、作家、評論家達が生活している芸術家村であり、時代を切り拓く、芸術的創造のエネルギーは想像の域を遥かに超えるものであろう。

 今回の参加美術家は全員専門のジャンルが異なり、また、水墨、油絵、竹ひごと韓紙と灯り、粘土と火、金属など、作品の素材も様々に異なっている。私より一世代も二世代も若い作家でありながら、それぞれに重たい文化的背景を背負いながら、自由な表現を求めて、この村に留まって芸術的爆発を試みているのだろう。それらの作品からは現代造形を追求する理性的思考と表現者の宿命として背負わされた衝撃的な感性が混在したインパクトの強い表現で、観る人の心を搖さ振る。

 例えば、Ortega 氏のにじみやぼかしを使った色彩による水墨画技法を生かした即興的表現や楊阳氏の油彩による錯視的抽象表現、全栄一氏の民族伝統工芸から光による現代立体造形表現ヘの転換などは、今日の芸術表現の地域性と多様性に焦点を当てた純粋造形表現追求の一つの在り方を示唆している。また、庫雪明氏のポップ的作品は 明るい色調のなかに 現代社会を冷徹に見つめる鋭いアイロニーを表出している。更に可夫氏の焼け焦げた顔のような陶芸作品からは、ゴーゴーと野火の燃え盛る、ただごとではない、恐ろしい情景が聴覚的に迫ってくるし、放置されたまま、痛ましく悲しい状況である。金権龍氏の悲しみを閉じ込めたような金属作品は、鍵をハンマーでたたきつぶしている冷たく鳴り響く金属音と共に、その異様な行為が現代社会の矛盾と現代人の深い孤独感をさらけ出しているように映る。

 私はといえば、大戦中の戦火激しい横浜で生まれ、空爆の中を母の背で逃げ惑いながら、九死に一生を得て生き延びた。戦争の加害国としての重い罪の意識と敗戦の傷心と虛脫感が入り混じる、暗く複雑な社会のなかで、焦土から立ち上がろうともがく人々が織り成す特異な文化に育くまれて成長した。

 その後、工業化社会における、日本の様々なかたちの民主化と合理化運動、高度経済成長と情報化社会、そして今日のIT・国際グローバル化社会と続く世のなかの流れに身をまかせ、横浜、岩槻、東京、福岡と漂流しながら、人々と自分の心を見つめ、自分の感性で何かを掴みたいとあがき苦しみ、私の絵画表現のなかに人間存在の意味を問い続けてきた。

 絵画の手ほどきは東京芸術大学で授かり、デツサンとモダニズムの理念を徹底的にたたき込まれた。画家として一人立ちしてからは、樹脂テンペラと油彩との混合技法を用い、ジャパニーズマーブリングと名付けた木目模様表現を下地として、花や昆虫や人々などの具象的なものと○や✕や♡などの抽象的な光や影、また文字や記号などを構成した作品制作を続けてきた。 このような私の作品は異質なイメージの重層的構造化により、「粗さや大胆さ」と、それに相反する「優雅さや繊細さ」などの矛盾する表現要素が、一つの画面のなかで緊張感を保つ微妙なバランスで共存していると評されている。このことについては欧米のある評論家がニューヨーク個展の図録に「真の美は本質的に不完全で不十分のなかにある」という日本特有の感性の一つである「粋」の概念の具現化であると、私にとっても思いがけない作品評をいただいたことがある。

 この解釈を受けて、改めて私の創作活動を顧みると、私は欧米のモダニズムからポストモダニズム、更に多様な個性や地域の特性を尊重する今日のアートの時代ヘと推移していく、グローバルな芸術思潮と美術の時代の潮流に呑み込まれ流されるままに画家人生を過ごしてきたと漠然と意識してきたが、気がついてみると、いつの間にか無意識のうちに、日本人としてのアイデンティティと感性に揺り戻されて、日本という地域文化の特質をもつ美意識の岸辺に漂着していたことを自覚させられたのだった。

 このような日本特有の文化に宿る美意識の表現といえる私の作品がグローバルに今日の芸術的価値観を競い合っている6名の多様な作品群なかで、どのように映るのか、また、どのように融合し響鳴し合うのか、私にとっても大変興味深い展覧会である。