宇田川 宣人
文連の機関誌「文化」は記念の200号を迎える。そのページには文連会員の色々な晴れやかな活動記事で彩られるはずであったが、それどころではない。芸術文化の当事者としてのコロナ禍における深刻な活動状況が浮き彫りにされるだろう。そのような状況を鑑みて、コロナ禍の今年秋の第十五回福岡文化連盟祭りは慣例になった「天神ビエンナーレ」を中断し、会員作品集の出版と画家と彫刻家のインタビューのオンライン発信に変わった。これが、まだ、始まりでしかないウィズコロナ時代の前途多難な、手探りの文連活動の幕開けになった。
私個人の活動は5月に「画業60周年記念展」を開催する予定だった。しかし、コロナ陽性者が急増し、3月に東京オリ・パラの延期、4月の緊急事態の発出により、これまでの日常生活や文化活動の在り方が急変していく中で、私は開催の是非の判断に迷い、惑うことになった。「芸術文化活動は不要不急の催しではなくて、人が生きるための重要な要素で、大きなリスクを背負ってでも実現することが芸術家としての信念であり、また、文化に携わる者の使命である。」という考え方を心の支えにアーティスト活動を続けてきているので、私はこの場に及んでも、想定外の葛藤に身を置かねばならなかった。結局、先達に倣い、レオナルド・ダ・ヴィンチの「自分自身を支配する力より、大きな支配力も、小さいそれもない。」という人間性回帰の言葉をよりどころにして、画家や文化人として身についていた自意識を一旦、心の外にはずして自然体で考えてみた結果、ようやく展覧会の自粛の決断に至ることができた。
このダ・ヴィンチなどの多くの巨匠を誕生させたルネッサンス時代の到来はその直前の40年にわたるペスト感染症の大流行が一つの要因とされている。ヨーロッパの4分の1以上、3000万人以上の死者を目の当たりにした当時の人々からすれば、神への信仰が薄れて、人間の生の在り方を根本的に問うことにより、新たな自由な社会を醸成させることが出来たのもうなずける。
また、現在はそれと同じような感染症禍の社会において、価値観の大きな転換期に直面している。芸術文化の世界においてもこの半世紀の間、グローバル化社会と歩調を合わせた「コミュニケーション」や「ダイバーシティとインクルージョン」、「人間と、ものやこととの関係性」などが重要なテーマとして取り上げられてきたが、今後は原点に戻り、さらに新たなテーマの追求が始まるであろう。いずれにしても、ルネッサンス時代のような途轍もない天才が現れる可能性が生まれたと思うと、ウィズコロナ時代の文化活動にも希望が膨らんでくる。
その意味においてコロナ禍の文連会員の作品集や一世紀にわたる生き証人の画伯、野見山暁治先生と触覚彫刻を試みる片山博詞氏のインタビューは、感染症と戦う真っ只中にいる、福岡の社会に生きる芸術文化に携わる人々の貴重な生の証言として、今後の芸術の方向性と文化活動の在り方を明瞭に示唆してくれるものと大きな期待を寄せている。